写真家になる

【フリーランス】フォトグラファーになって挫折したことは? 「あります」

2020年4月28日

  1. HOME >
  2. 写真 >
  3. 写真家になる >

【フリーランス】フォトグラファーになって挫折したことは? 「あります」

2020年4月28日

フリーランスのカメラマンとして雑誌や広告の仕事をするようになり、やっと食べていけるようになってきたかな、という頃。
あるとき、アシスタントについてくれた子に、
「あつしさんの場合って、運ですよね」と言われました。

(えっ…………)

彼から見ると、「苦労してなくてトントン拍子にうまくやってきた=僕」という風に見えたみたいで、言われた方としては何気にショックでした。

普段あまり人には見せないのですが、僕は写真という表現が好きで好きでたまらず、影で血のにじむような努力をしてきました。
それだけは自信を持って胸を張れます。
ときには心が折れかけたこともあるのですが、今回はそうした「挫折の経験」を披露していきたいと思います。(独立する前の挫折経験にも触れています)

出版社勤務時代に体調を崩す

持病のアレルギーが悪化し、体調不良に。20代半ばにして編集部をほぼ任されるという重要なポジションだったにもかかわらず、職場のみんなに迷惑をかけました。満足に働けず、メンタルも不安定な状態に陥りました。退職までの1年ほどはあまり改善しなかったので、後ろめたい思いを感じていました。

東京に出てきてすぐに風邪をこじらせ死にかける

上京してすぐ。高円寺に部屋を借りて生活を始めましたが、カーテンもベッドもないという無謀な状態。床には段ボールを敷いて寝ていました。2日目でいきなり風邪を引き、市販の風邪薬を飲んだものの、副作用なのか呼吸困難に。
ひと晩寝てなんとか回復したのはいいのですが、数日間はコンビニと家の往復だけがやっとで、本当に死にかけました…。(みなさん、体調の悪いときは素直に救急車を呼びましょう)

東京で仕事を始めたものの、1年で体調が悪化

なんとか広告代理店に派遣社員として入社。当時、残業代は出ていたものの、12時間以上の勤務はざらだったために1年で体調が一気に悪化。かなり状態がひどく、自宅で寝込む日々が続きました。

退職してフリーランス宣言するものの、仕事がない

広告代理店の先輩デザイナーはとても優しい方だったのですが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思い、退職させていただくことになりました。そこで、フリーランスのフォトグラファーとして独立宣言するのですが、当然のことながら仕事はありません。結構やばい状況に。

若年性白内障でフリーランスの夢をあきらめかける

体調を崩していたとき、急に視界がぼやけるようになり、ほぼ視界ゼロになりました。
年末年始だったこともあり、某医大病院に深夜急患でかかることになりました。診断結果は「白内障」ということでした。
「え、カメラマンなのに目が見えなくなるの…」と、思わず頭が真っ白に。
(実際には手術で治療できるのですが、言われた瞬間はそんなこともわからず、ただひたすら不安でした)
そのときの写真は1~2枚、初めて出版した写真集にも掲載しています。あのつらさと、初心を忘れないように…。

某雑誌の編集長に「才能がない」と言われる

富士フォトサロン新人賞(富士フイルム主催)という賞を受賞したあと、授賞式の懇親パーティで某雑誌の編集長とお会いする機会がありました。
その後、自分がつくったポートフォリオを持ち込みして、見てもらえることになりました。
小躍りして編集部を訪ねたものの、言われた言葉は、
「もったいないわよね。こんなに時間もお金もかけて」
という厳しいひとこと。

憧れていた雑誌の編集長とやっと会ってもらえた、というのに、自らの才能のなさを突き付けられて落ち込んで帰りました。
実はその後、この編集長からは大きなチャンスをいただくのですが、まるで全部を否定されたような気持ちになり、2~3日は引きずりました。

事務所を借りるが大震災発生で解約

某出版より、ムック本(雑誌と書籍の中間のようなもの)を編集してみないか、というご依頼をいただき、編集作業に必要な事務所を自宅の近くに借りました。ほぼ勢いです。

僕が制作した本「ストロボ フォト&テクニック」【プロフォトグラファー&ディレクターが編集】

僕が以前、全ページに渡り制作を行わせていただいた「ストロボ フォト&テクニック」というムック本について解説します。Amazonまたは、全国書店での注文にてお買い求めいただけるのですが、内容は一 ...

続きを見る

ところが、その直後に東日本大震災が発生。撮影の仕事が激減してしまい、家賃を払い続けることがいきなり困難になり、泣く泣く解約しました(涙)。
その後、別の場所で自社スタジオを借りるまでの約3年間は、自宅での作業に戻ります。

提携先の広告代理店が倒産

出版社の版元として雑誌を3カ月に一度刊行していた頃、広告出稿をお願いしていた企業が急きょ倒産。債務整理のため、かなりの金額が未回収になりました。もともと知人の紹介で同社に依頼することになったという経緯から、間に入ってくれた方にも気まずい思いをさせてしまったことも悲しかったです…。

無理に我慢しすぎないのが大切

ざっとですが、過去の挫折経験をまとめてみました。
こうしてあらためて振り返ってみると、挫折なんだかなどうか、よくわからないものが多いですね。
最近は「鬼滅の刃」(漫画&アニメ)をよく見てるのですが、登場キャラの生い立ちが悲惨すぎて、比べてみると自分は普通だなってことがわかります。

アシスタントの子に言われた言葉は、あながち間違ってないかもしれません...。
ワーホリ時代なんて生意気で、むしろ自分の態度に原因があったようにも感じます。

基本的には前向きな性格なので、悩んだり苦しかった時期があったりしても「いまがよければOK」かなと考えるようにしています。
過ぎたことを悔やんでも仕方ないしね。(失敗から学ぶことは多いけど)
いずれにせよ、特に最近は自分の才能だけではなく、周囲の人に助けられてきたんだということに、すごく感謝しています。

大きな挫折や危機を乗り越える一番のメリットは「ストレス耐性が身に付く」ということです。
ただ、本当に心が折れてしまったり、体調が悪いのに我慢しすぎてしまったりしては本末転倒です。

人生、長い目で見ると逆転のチャンスはいくらでもあります。
僕の場合、仮に「挫折」と感じることがあったとしても、ちょっと気持ちを休めて、次に高く跳ぶためにエネルギーを蓄えよう、と考えるようにしています。

だれしも順風満帆わけではなく、多くの人がいろいろなことを経験してきているはずです。
いま悩んでいる人に、少しでも伝わればうれしいです。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
Atsushi Yamada

Atsushi Yamada

写真家。ときどきディレクターもやってます。 ワーホリ渡豪、20代で出版社立ち上げてフリーに。 英会話は日常会話レベル。都内の自社スタジオに棲息。 ブログでは写真や文章、クリエイティブ全般について語ってます。

よく読まれている人気記事

1

写真を撮ってメシを食う人のことをかつては「カメラマン」と呼んでいましたが、最近は「写真家」や「フォトグラファー」という呼び方も増えています。 正直どう違うの?という方のために、フォトグラファーという呼 ...

2

雑誌やムック、カタログなどの本をつくるためには、テーマやコーナー企画の立案以外にも、さまざまな準備が必要です。中でも、重要な設計図となるのが「台割(台割り・だいわり)」と呼ばれるもの。 今回は、紙媒体 ...

3

フリーランスとして生きていく上で「専門分野を極めるべき」あるいは「複数のスキルを持った方がいい」という両方の意見があります。はたしてどちらが正しいのでしょうか?実体験を交えながら、意見を述べてみたいと ...

4

みなさんは「パーマセル」って聞いたことありますか? プロの撮影現場ではほとんどの人が持っている、とても身近な道具なのですが一般的にはほとんど知られていません。 ちょっと高いけど、ものすごく便利なので一 ...

-写真家になる

© 2024 Atsushi Photolog Powered by AFFINGER5