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僕はこうやってファッション雑誌のカメラマンになりました【実体験】

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僕はこうやってファッション雑誌のカメラマンになりました【実体験】

ファッション誌の撮影、というのはフォトグラファーになりたい人であればだれでも憧れるものではないでしょうか。なかなか撮影の機会をもらえないことも多いのですが、僕はあることがきっかけで、ファッション誌での撮影をたくさんするようになりました。今回は当時のエピソードについて、お話しします。

当時の状況:雑誌がまだまだ華やかだった時代

僕が東京に出てきた頃は、すでにオンラインメディアが登場して「雑誌が売れない」と言われていた時代でした。
とはいえ、なぜかさまざまなジャンルで新雑誌が創刊。いわゆる王道の赤文字系、青文字系と言われる雑誌ばかりでなくいろんな雑誌が増えていて、振り返ってみると一番華やかだったのかもしれません。

特に、ニッチな分野の雑誌が一気に増えました。

たとえば「青文字系古着雑誌」「ギャルママ向け雑誌」「キャバ嬢向け雑誌」「ホスト系ファッション誌」「セレブのゴシップ雑誌」などなど、たくさんのカテゴリが生まれました。
「小悪魔ageha」などは代表格で、創刊されたときは画期的でしたね。いまも出版元が変わりながら、ときどき復刊しています。

そして、クラブに遊びにいくことも現在より一般的であり、ストリートカルチャーの一部だった時代。
週末が近くなると、携帯あてに「六本木のイエローでパーティがあるよ。面白そうだから行こう」というメールが回ってきて、行けばだれかしら友達がいるという感じです。
僕もほとんど毎週のようにカメラを持っていって、朝まで撮影をしていました。

まだまだ仕事が少なく、鬱屈とした日々

「フリーランスのカメラマンになる。東京で成功する」と、地元・熊本から出てきたものの、当初は新宿ハルクのビックカメラでバイトするなど、なかなか現実は厳しかったです。
その後広告代理店で1年ほど働き、フリーランスに。このときも体調を崩すなど、散々でした。

1年間、ストリートやクラブで撮りためた作品で写真賞を受賞し、やっと少しずつ仕事も増えてきていましたが、自分の理想とはかけ離れていて、まだまだだと感じていました。

それでも、音楽雑誌などからすでにアーティスト撮影などの機会をもらっていたので、恵まれていたとは思います。
フリーランス生活の中で転機はいくつもあるのですが、ファッション誌の撮影をすることになったきっかけは、当時一緒に遊んでいた地元の友人からの紹介でした。

「今度、友達が渋谷でヘアメイクのショーをやるんだけど、撮影するカメラマンを探してて」

空いてるので手伝うよ、とふたつ返事で答えました。

渋谷で開催されたヘアショーの舞台裏を撮ることに

主催者は、渋谷で美容室を営んでいたゆうくん。当時、まだ20代だったと思います。
ステージに出演するモデルはS-Cawaii!というファッション誌に出ていた子や、渋谷・六本木を中心に活躍するダンサーばかり。
僕はいわゆるメイキング(英語でいうところのBehind the scenes)を担当、ステージだけでなく、メイク中の写真や、休憩中のオフショットも撮影しました。
このときがゆうくんとの出会いで、その後にもイベントの撮影や飲み会などに誘ってくれるようになりました。
クラブの撮影時にばったりと会う機会もありました。
その後、彼がディレクターとしてある専門学校のパンフレット制作を担当することが決まり、モデルを含めた全体のチームをキャスティングすることになったとき、僕に撮影をお願いしたい、と声をかけてくれたのです。

チームで学校パンフレットの撮影を担当

当日は、都内のロケ場所(原宿のアパレルショップや渋谷のサロン、クラブなど)の数カ所を回って撮影しました。
ヘアメイクはゆうくんとお店のスタッフ、モデルはS-Cawaii!の子たちと他のファッション誌で表紙を飾っている子も参加。スタイリングは、僕の友人のスタイリストが担当してくれることになりました。
せっかくの機会なので、フィルムで撮影したものを暗室でプリントして入稿。
印刷所でスキャンされたデータを最終的にレタッチして仕上げました。20本ぐらいは撮影したはずなので、経費もそれなりにかかったと思います。
仕事とはいえせっかく声をかけてもらったのだし、素敵な写真が撮りたかったので、全力でやり切りました。
スタッフのみんなが顔見知り、つまり「仲間」だったので、僕としては企業からお金を出してもらって作品撮りをしていたような感覚だったのかもしれません。

撮影した写真はもちろん学校のパンフレットに使用されたのですが、そのうちの何点かは後日、雑誌広告として複数のファッション誌に掲載されることになりました。

とある編集者からの依頼

その後のある日、某ファッション誌の編集者に作品を見てもらう機会がありました。
初対面で作品を見てもらう、いわゆる「持ち込み(売り込み)」というやつです。
打ち合わせの際にはポートフォリオ(作品ファイル)を持参したのですが、中にはみんなで撮影した学校パンフの写真を数枚、入れていました。
するとその編集者が「この写真、見たことあります!」と気づいてくれたのです。
僕自身はあまり気にしていなかったのですが、思っていた以上にいろいろな雑誌に広告として掲載されていたらしく、知らないうちに一人歩きしていたようでした。

出版社を訪問した翌日、その編集者から携帯電話に電話がありました。

「来週、撮影があるのですがスケジュール空いてますか?」
という相談でした。

依頼されたのは人気のあるブランドのタイアップ撮影で、そのときに撮った写真のクオリティがよかったのか、他の編集者から次々と電話がかかってくるようになり、僕はファッション誌での撮影を始めることになります。

人との出会いが、人生を変える

振り返ってみてあらためて気づくのは、自分の人生で大きな前進があったと感じたときには必ず「人との出会い」があったんだな、ということです。

特に、いまよりも経験が浅かった頃に意識していたことがあります。

・人との出会いや、つながりを大事にする
・もらったチャンスでは120%の力を出し切る
・その後につながらなかったとしても、やり切ることで少なくとも後悔はしないし、将来的にプラスにはなるはず
・重要な仕事は、経費を度外視して頑張る
・でも赤字にはならないようにする

最後の「赤字にならない」というのは、プロとしてお金をもらっている人間としての叙事ですが、ときには「時間もお金も使いすぎてしまって失敗したな」と反省することもありました。(その反省も、最終的にプラスにはなるのですが)

最後に

今回は、僕がファッション誌のフォトグラファーとしていろいろな仕事をするきっかけになった出来事について、お話しました。
もちろん、僕の場合はあくまでもひとつの例ですし、10人いれば10通り、100人いれば100通りの生き方があります。
一般的な会社員と違い、そうやっていろんな選択肢の中から自分の道を選べるのがフリーランスの醍醐味ですし、僕の経験が少しでも参考になれば幸いです。

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Atsushi Yamada

Atsushi Yamada

写真家。ときどきディレクターもやってます。 ワーホリ渡豪、20代で出版社立ち上げてフリーに。 英会話は日常会話レベル。都内の自社スタジオに棲息。 ブログでは写真や文章、クリエイティブ全般について語ってます。

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